
初代 今西與兵衞(よへい)は京都の東寺界隈で17代続く小間物商の大店「藤屋」に奉公し、やがてのれんを譲り受け、1861年(文久元年)、26才で五条堺町に小間物の卸問屋を構えました。
幕末から明治にかけての動乱の京都で、初代與兵衞は変わりゆく時代に流されることなく、今与の確固たる基礎を築いていきます。

当時の多くの商家で使われていた「符丁」と呼ばれる店内での数字の暗号に、初代與兵衞は「おもしろのはなざかり」という言葉を選び、「0〜9」の数字をそれぞれの文字に置き換えて使っていました。「おもしろのはなざかり」には、「心楽しめるもの、風流なもの、おもしろいものを取り揃えてご提案したい」という想いが込められています。商売の基本となる符丁に、そのような言葉を選んだ初代與兵衞の心意気は、創業から現在まで続く今与の理念として受け継がれています。




二代目今西與兵衞により、西洋化が進む京都で和装洋装にとらわれない美しい装飾品や、時代の流れに乗った新しい品物を取り入れ、「おもしろのはな」を咲かせていきました。


小間物商として発展し、さらに急速に進む西洋化や海外の品物の流通に合わせ、新たに中国からの翡翠などの宝石輸入を開始。

三代與兵衞により、翡翠・珊瑚・真珠に加えてダイヤモンドの取り扱いを開始。
京都ならではの趣向を凝らし、美的感覚を生かした目利きで宝飾品中心に取り揃えた品物は目新しく好評で、東京や大阪、名古屋、福岡など各地に拠点を増やしていきました。

真珠の卸売りを手始めにダイヤモンドやカラーストーンの卸売りを再開。
高度経済成長期には取引の増大にともない、複数のジュエリーを同時に鋳造できる「キャスト」を導入し、手作りの高い品質とキャストの生産性が融合した製造加工工場へと発展させました。
戦中の接収により、やむなく京都市右京区鳴滝へ疎開移転し屋号を改めました。
法人に改組。
京都市右京区鳴滝に株式会社 今與を設立

今西信一(四代)が国立科学博物館へキャッツアイ寄贈

ダイヤモンドやエメラルドの海外からの直接仕入れを本格化。組織を活性・安定化させ、高度成長期には事業を大きく飛躍させました。

現在の京都市中京区烏丸竹屋町に本社ビル竣工・移転


「Hour Glass〜ダイヤモンドの砂時計〜」(限定生産品)、「ミレニアム・ダイヤモンド」(限定生産品)を取り扱う。
CI(Corporate Identity)の一環として社名を株式会社 今與から株式会社 今与へと表記を改めました。
ダイヤモンドライン・ブレスレットを販売
TDE(東京ダイヤモンド取引所)を通じ、WFDB(世界ダイヤモンド取引所連盟)に加入



150周年を節目に第一回花繚展を開催


